俊太郎日記15年

2003年1月1日(水)
鹿児島で迎える新年

夕べ、12時過ぎるまで起きていた俊太郎も、9時過ぎには何とか起きました。
おばあちゃんが、なかなか退院できなくて、3人で年を越しました。寂しい!!
お雑煮を食べて、俊はほとんど食べなかったけど、おせちを持っておばあちゃんの病院へ。
みんなで、病院でお昼を食べました。既に、もう食べ過ぎ・・・。
明日には、退院できそうです。ほっ!
病院の帰りに、おもちゃやさんによって、チャイルドシートにつけるハンドルを購入。
かなりご満足の様子の俊。こちらでのる車トッポは、後ろにチャイルドシートをつけるのが不便なので、高速以外は前に。
前の景色が良く見えるので、「ブーブー!!」と大興奮の俊でした。
夕方、知覧のおじいちゃんちに行って、お年玉をもらい、ご馳走を頂き、従姉妹と遊んだ俊でした。

2003年1月15日(水)

鹿児島から横浜に戻ってきて、10日。
やっと、俊の身体も戻ってきてまた、新たな成長が始まった。
今日は、4セット訓練の日。午前、ご近所のTさんとの訓練で、初めて左手の親指と人差し指を使って自分でどんぐりをつまめた。
このとき出来たのは3回。午後は、お友達のNさんとも、何回かできたが、4セット目は遊びたくて機嫌も悪く、体が非常に硬かった。
まークンと、ひとつ上のお兄さんのことをしきりに呼ぶようになった。
辛いなーと思う。明けても、暮れても訓練。遊びたい気持が山のように積っている俊太郎。
何かするたびに、違う違う・緊張を抜いて・・と言われっぱなし、私が俊ならとっくの昔にこの世から消えているかもしれない。
願いと、俊の気持をどうコントロールしていけいいんだろう?

2003年1月24日(金)

3日前から、俊の股関節が柔らかくなった。
突然感じたことだけど、緊張がなくなったわけではない。
でも、なんだか期待のもてる柔らかさ。
通園では、床がとっても冷たくて這わせるべきか悩むけど、あんな長い距離を這う環境が無いので、帰りは必ず這うようにしている。
体力もついてきたからか、順調に這って行ける。もちろん、私や先生が脚のかかとを押してくださっての前進ではあるけれど、でも先に希望が見える進みかた。
今日、午前中訓練に来てくださった、Oさんも俊脚が柔らかいね・・と言ってくれて、成長が楽しみ・・と話していた。
先週も来て下さっているので、一週間の変化とも言えるかな?
午後から来てくださった、Kさんは、俊ちゃん良く動くようになりましたね、前と違う・・・と話してくれました。
みんなが話してくれる俊の成長は、私も確信が持てたような気がして、とてもうれしい。
訓練を頑張る糧になる、ありがたいことです。

2003年2月25日(火)

なんだか、2月に入ってから辛い思いの連続で、日記を書く気持もなくしてしまった。
俊太郎の背骨が16度も曲がっていたのが、1月31日の整形外科の受診でわかった。
ボイタの訓練をきちんとすれば、変形は防げるのよね・・・といわれた言葉がずっーと頭の中から離れない。
私が、俊の背骨を曲げたってこと・・・・真面目にボイタをしなかったから・・・・。
怠け者の私には、毎日泣き叫ぶ俊を押さえ込んでボイタの訓練を続けることは、とても出来ない。
今、ブレインウエーイブ法の訓練を毎日ボランテイァさんの助けを頂いて、続けていくことが精一杯。
妊娠23週目の最後の日に俊太郎の双子の弟が私のお腹の中で死んだ。
次の日から、24週目に入っていて、産む選択しかなかった。
ずっと、何か異常のある子が生まれるだろう・・・といわれつづけながらの入院生活の末、3ヶ月目に34週になった途端、生まれた俊太郎。
生まれてすぐ抱くことも出来なかったけど、生まれた時の泣き声と、顔を見せてもらった時『綺麗な赤ちゃん』と思ったことは良く覚えている。
元気な子が生まれたじゃない・・・とホッとしたけど、実はそうじゃなかった。
医者は、私の命を助け、俊太郎を無事にこの世に送り出した・・・それでOK,そしておしまい。
私は、一言も、医者に自分の命と俊太郎をを助けてくれともいわなかったし、いつもこの思いがドウドウ巡り・・・・。
立ち直れない日々が続く。

2003年4月12日(土)

もう既に、明日になっている、、真夜中・・・・。
俊の成長を書きとめる為の日記のつもりが、書けなくなっている。
書こうと思うと辛い。
3月19日に3度目のアセスメントも受けた。
大きな、驚くほどの成長はないが、でも確実に成長していることは確か・・・・なのに、書けない。
俊は、ボラさんの協力をいただいて、毎日訓練に励んでいます。
気持ちの整理をつけないとと、思っていますが、頑張れない母親がここにいます。
応援してくださっているボランティアさん、こんな母親でごめんなさい。

2003年4月25日(金)

今日は、うれしいことがあった。
初めて、俊太郎がみんなの前で『ハイ!』といえた日。
サークルでも通園でも今まで一度も出来なかったのに、初めて出来た。
初めの一歩が・・・始まった。
イツまでもイジイジの母ではいられないなと痛感した。
俊は、言葉を、今しゃべりたがっている。
このときを、大切にしてあげなければ・・・。
少しずつ、気持ちを前向きに持っていけそうな気がしてきた。
結局、俊から励まされているんだね。

2003年4月29日(火)

久々の俊のためのお出かけ・・・・。
野毛山動物公園に、像を見に出かけた。絵本でも『ジョウ』なんて指差して呼ぶので、OKかなと思ったら相変わらず、
動物はとてつもなく怖いものらしく、凄い形相でいやがっていた。
そして、『行こう!!』の連発。怖かったらしい。
そのご、トイザラスへ行って、屋内用ブランコを買った。
家へ帰宅したのは7時過ぎ過ぎていたけれど、お父さんが組み立ててくれて、大喜びで『ブランコ、もう1回!」とせがんで楽しんでいた。
買ってあげてよかった!

2003年5月21日(水)

訓練のとき、眠たい!と機嫌の悪い俊でしたが、この日から受動的でなく自分から足を曲げようとしたり、腕を開いたり閉じたり、手を上に上げたり降ろしたり・・・
をするようになった。
やっぱりこれも突然の出来事だった。
やはり硬さがあるので、すんなり挙げたり曲げたりできているわけではないけれど、俊自身が動かそうとして動かすのと、
私が動かすのとでは、全然違う、それに意識の問題もあると思うので・・・これからも少しに変化をしながら成長していって欲しい。

2003年6月2日(月)

このところ、あまり機嫌がよくない・・通園のあとは、結構疲れるらしい。(当然だけれど・・・・)
それでも、ボランティアさんの励ましで、今日は楽しそうに展開した。
今日は笛をとっ手も上手に吹けた。(Aさん・Nさんもとても喜んでくださった)
笛でなく、他の遊びも取れいれないと飽きているかも??
Aさんは、月に一度来てくださるが、俊の成長をつぶさに感じたままにお話してくださるので、気づかないことを教えていただき
私も励みになっている。感謝!!

2003年6月6日(金)

通園終了後、心理の検査。
田中ビネー式での検査。
今日も、先生とお話ししないんだろうな?と思っていたら、
ホ息のときから一緒に過ごしていたからか、コミュニケーションを取りながら、自分の力を発揮しているように感じた。
検査のなかで、『人形どうれ?』の質問に正しくそのえを指差す姿を見て、びっくりした。
知らない世界で、成長しているんだなと嬉しく感じた。
結果は現在3歳7ヶ月にして、2歳過ぎたところと言われた。
あと、集中する力をとまたご指摘・・・。
家ではそうでもないけれど、外では、気が散ってばかりだから・・・・。
物を見立てての遊びを、うんと取り入れることが必要だと教えていただいた。

2004年2月29日(日)

ずっと、4歳になったら乗馬療育を取り入れようと思っていた。
でも、受け付けから開始まで、かなり待ちの時間がある(1年から2年)と言う情報を小耳に挟んだので、
早速、問い合わせ、俊太郎を連れ、3人で三ツ沢公園の馬術訓練場へと出かけた。
初めての馬のとのご対面。
やはり、思った通り、身体をこわばらせ恐怖に怯えていた。
でも、RDAの訓練している方達の所にいったら、優しく声を掛けていただいたり
遊んでいただけて、親から離れることができた。白い馬の背にもまたがったが、泣いてはいなかった。
火曜日なら空いているという事で、少しずつ乗馬を始めていけそうです。
乗馬は、外に出るのでいいと思う。四季やお天気を肌で感じていきたい!!