なんだか、2月に入ってから辛い思いの連続で、日記を書く気持もなくしてしまった。
俊太郎の背骨が16度も曲がっていたのが、1月31日の整形外科の受診でわかった。
ボイタの訓練をきちんとすれば、変形は防げるのよね・・・といわれた言葉がずっーと頭の中から離れない。
私が、俊の背骨を曲げたってこと・・・・真面目にボイタをしなかったから・・・・。
怠け者の私には、毎日泣き叫ぶ俊を押さえ込んでボイタの訓練を続けることは、とても出来ない。
今、ブレインウエーイブ法の訓練を毎日ボランテイァさんの助けを頂いて、続けていくことが精一杯。
妊娠23週目の最後の日に俊太郎の双子の弟が私のお腹の中で死んだ。
次の日から、24週目に入っていて、産む選択しかなかった。
ずっと、何か異常のある子が生まれるだろう・・・といわれつづけながらの入院生活の末、3ヶ月目に34週になった途端、生まれた俊太郎。
生まれてすぐ抱くことも出来なかったけど、生まれた時の泣き声と、顔を見せてもらった時『綺麗な赤ちゃん』と思ったことは良く覚えている。
元気な子が生まれたじゃない・・・とホッとしたけど、実はそうじゃなかった。
医者は、私の命を助け、俊太郎を無事にこの世に送り出した・・・それでOK,そしておしまい。
私は、一言も、医者に自分の命と俊太郎をを助けてくれともいわなかったし、いつもこの思いがドウドウ巡り・・・・。
立ち直れない日々が続く。
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